教え(仏教)
お釈迦様(釈尊)が真実と言われた法華経の本門八品にてお釈迦様(御本佛)が上行菩薩に授けられた、一大秘法の南無妙法蓮華経を、口でお唱えすることにより、成佛(最高の幸せ)が得れるのです。
インドで悟りを開かれたお釈迦様(釈尊)は、難行苦行をなさいましたが、難行苦行をなされて、難行苦行をしても悟ることができないことがわかられ、難行苦行をやめられたのです。それを見た他の修行者は、お釈迦様が修行を放棄したと、皆が思ったのです。しかし、ついにお悟りを開かれたのです。
お釈迦様が悟られたお悟りは、佛様方にしかわからない難しいものです。しかし、お釈迦様は、自分と同じように、全ての人々を苦しみの世界から救い、佛にさせたい、との深いお慈悲があられたのです。そこで、能力のある方(お釈迦様が亡くなられ、1000年、2000年までの人々)には、八万四千といわれる教えを説かれたのです。しかし、お釈迦様のみ教えを悟ることができない末法という時代の人々を救う為に、一番大事なお弟子である、上行菩薩に一切のみ教えを託されたのです。末法は無佛世といい、佛様がおられない時代ですから、佛様の残されたみ教えにより、救われる時代なのです。そのみ教えを、「上行所伝の南無妙法蓮華経」と申します。
法華経を説かれるにあたり、お釈迦様は、今まで「四十数年間教えを説いてきたが、いまだ真の佛の教えを説いていない」とお弟子方に告げられました。四十数年間、お釈迦様が説かれた教えは、方便の教えで、今から佛になる真実の教えである法華経を説く、と宣言なされたのです。法華経こそが、真実成佛の教えとおっしゃられたように、第一の教えというお経文が随所に見られます。
己・過去世(前世)に説いた一切の教えの中で法華経が第一
今・現在世(お釈迦様が)説かれる教えの中でも法華経第一
当・未来世(未来に佛が出現し)説かれる教えの中、法華経第一
「諸経中王」 法華経は一切のお経の中の王様
「最為第一」 法華経が最も第一の教え
「秘要之蔵」 法華経は秘密(大事な)要の(教えの)蔵
「諸佛秘密の法」 法華経は全ての佛様の大事大切な教え
「諸佛の秘要なり」法華経は全ての佛様の大事な要の教え
「諸佛の宝蔵」 法華経は全ての佛様の宝の蔵の教え
「諸経の中の宝」法華経は一切のお経の中の宝の教え
等々…
法華経こそは、真実であり第一であり最高であると説かれますが、その悟りは、信じることは難しい、理解することは難しいと説かれたのです。また一方、法華経は、七つの例え話として有名です。例え話ばかりではないかと思ってしまうほどです。それらはすべて、私たちがみ佛の世界がわからず、悟る能力がないことが原因なのです。法華経を悟ることができない人々の為に、お釈迦様は久遠の直弟子の上行菩薩に、その使命を与えられました。上行菩薩は、法華経の本門の教えの中の、本門八品に登場なさるのです。
佛(佛舎利)を拝むな
法華経に、「舎利を安んずることなかれ」とお釈迦様は説かれました。
私(佛)が死して後、(佛)舎利(御遺骨)を拝むことがあってはならぬと申されたのです。
法(法華経)を拝め
法華経に、「此の中に如来の全身在す」と、お釈迦様が説かれました。私が死して後、私の遺骨を拝むのではなく、法華経(教え)の中に如来のすべてがましますと申されるように、お釈迦様が残された、真実の法華経の教えを拝むことを、お釈迦様ご自身がおっしゃっておられるのです。
法華経は、妙法蓮華経を略したものです。
如来の全身である、妙法蓮華経を拝むということは、南無妙法蓮華経と口でお唱えすることです。南無妙法蓮華経と口でお唱えすることが、如来の全身を拝むことになり、お釈迦様のお言葉を実践することになるのです。
本門八品とは、法華経の後半の本門の中の八品の章のことをいいます。
お釈迦様は、法華経を2ヶ所で説かれます。1ヶ所は霊鷲山という小高い山の頂きで、もう1ヶ所は、虚空といわれる空中(宇宙)で説かれるのです。
そこに、宝塔といわれる巨大な仏塔が出現し、過去一切の佛、現在の四方八方、十方一切の佛、未来の一切の佛がご出現になられ、宝塔には、〝お釈迦様の申されることは真実である〟と証明される多宝如来がご出現なされ、一切の佛様も、お釈迦様の説かれる法華経が、真実であると証明なさいます。
お釈迦様は、未来の一切の人々を救う為、遠い遠い久遠からの直弟子である、上行菩薩をリーダーとする、菩薩方を呼び寄せられたのです。尊い気高い菩薩方が、お釈迦様のお弟子であるとは誰も信じられません。そこで、初めてお釈迦様は、実は菩提樹下で悟りを開いて佛になったのではなく、遠い遠いはるか久遠の昔に佛となった久遠の(根)本佛であることを明らかにして、更に、一切経の中で初めて、佛になる方法(道)を明らかになされたのです。この御本佛の御悟り(一念三千:いちねんさんぜん)を久遠のお弟子である上行菩薩にお授けなさるのです。その儀式(本門八品)が終わると、多宝如来も一切の諸佛も宝塔もお姿を消し去られるのです。
この教えを古来から不思議の八品といい、宇宙(虚空)で、み教えが説かれたスケールは、他の御教えをはるかに凌駕しています。
お釈迦様は、法華経本門八品にご出現の上行菩薩が法難に遭われることを予言なさいます 。
上行菩薩は、末法に日蓮聖人としてご出現なさいました。と、いいますのは、お釈迦様のご予言の、上行菩薩があわれる法難を、そのまま日蓮聖人があわれるのです。日蓮聖人は、悪口をいわれ、ののしられ、また、瓦や石を投げられ、焼き討ちにあい、焼き殺されようとされたり、更に、闇にまぎれて秘かに打ち首にと、首をはねられるまでの難にあわれました。しかし、その時には、大上段に振りあげられた日本刀が、光物によって、三つに折れてしまったという奇跡が起こりました。お経文どおりのことが起こったのです。その後、佐渡ヶ島に流罪となり、数々(2回以上)擯出(所を追われる)すべてのお経文の上行菩薩があわれるご法難を、日蓮聖人がご自身の身で体験(身読)して初めて、ご自身が上行菩薩としての自覚をなされ、御題目様の御本尊をおしたためになられるのです。
末法は佛がおられない時代(無佛世)といわれます。お釈迦様がご出現の後、次の佛のご出現は56億7千万年後の弥勒佛です。それまでは佛がおられない時代ですから、お釈迦様は、如来の全身である法華経、つまり教えをもって人々の救いとし、その教えは、法華経本門八品にご出現の、上行菩薩が伝えられた、上行所伝の南無妙法蓮華経がお釈迦様の真の教えとなるのです。